KAFTIのblogです。
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あー、思い出すたびにあたまくる。
リーブラフェスティバルでのこと。 同じ部屋を大きくみっつの団体が共有してブースを出していました。 私の左隣に、自然・木と触れ合おう、というような趣旨の団体が出展していました。 自然関連だから、私も仲良くなれるかな? と期待したのですが… なんだかちょっと違和感が。 私の直感、いつも自分ですごいと思う。 エセを嗅ぎ取る感覚には、自分にかなりの自信あり。 私の植林のことを書いた張り紙を見て、そのメンバーのひとりのおじさん (定年されたような話だったので、おじいさん?)が言ってきた。 お(おじさん) 「ミンダナオかぁ。俺はこいつらに木を買え買え、って 随分言われたんだよ」 私 「(こいつらって何、その言い方。キーっ! と思いつつ) ミンダナオに行かれてたんですか…」 お 「こいつら、俺らから随分儲けたんだよなー」 私 「(儲けたのはお前だろ?? と思いつつ)でも、そのせいで 90パーセントの森が失われて、現地は大変なんですよ」 お 「そりゃ、そうだろう。買ってくれって言ってきたんだから」 私 「(現金ちらつかせたら、そうなるに決まってるでしょう?? 厳しい生活をしている地域なんだから! と思いつつ) 森が失われたせいで、自然災害もあるし、貧困も本当に深刻なんですよね…」 お 「そりゃ、しょうがねぇだろう」と去っていく。 私 「(なんだとう? しょうがなくないだろう? お前みたいな人のせいなんだよ! なんで、しゃあしゃあと生きてんだよ。なんで申し訳ないって思わないんだよ? 自腹で植林でもしろよーー。お前みたいなののせいで、貧困に陥ったんだよ。 天罰くだれ~~~~~! と心の中で鼻息荒く、煮えたぎる怒りにとらわれ、 相手を血みどろにしたくなる)」 その後しばらく収まらずにぐらぐらの怒りで体力をかなり消耗する…(←ちょっとアホ…) 活動している中で、初めて現地の伐採をやっていた人に出会いました。 本当にビックリするくらい、期待を裏切らないイヤなオヤジであった。 私を出店させてくれた友人にこの話を伝えると、 「あの団体、全然エコじゃないんだよね~。さっきもちょっと間違った模造紙、 まだ使えるのに簡単にビリビリ破いて捨ててたし」とのこと。 活動と一貫してない人たちが集まる団体。 そして、本質のところでブレている団体や指針。 そういうの、本当にいや。 今、エコがブームになっていく中で、エセがいっぱいいっぱい、はびこっている。 うそものに触れて平気でいられる人にならないためには、何が必要なんだろう? 『力を持ったものの情報』 に踊らされないためには、何が必要なんだろう? 私の活動が、せめて何人かの 『真実を見抜く目』 に寄与できればいいのだけれど… PR
エセが多い
奈美さん
本当にエセが多いです。 それは大企業が最もヒドイと思います。 エコを利益のために追求しながら、戦争機材を利益のために生産しています。 でも、もう一方で、私もエコを言いながら無駄な電気やシャワーを使っています(規模は違いますが)。心で泣いて・怒って、周りの人に丁寧に係わり、少しずつ分からせたいですね。
エセのこと
エセの件、これからも追求していきたいです。
大企業のひどさ、きちんと「モノ言う人」が増えなくてはいけないですよね。 二酸化炭素も、個人の排出なんかより、世界の戦争をやめる方がいいわけで… でも、それが、個人の生活のムダOK ということじゃない、ということも重要。 マクロとミクロの視点、持ち続けながらやっていきたいです。
可謬主義
「他人の振り見て我が振り直せ」ではないのですが、人の「エセ」よりも、自分に「エセ」がないかを考える方が大切ではないでしょうか?
「自分は本物、あいつは偽者」という考えこそが「エセ」ではないのでしょうか? 「大企業=悪」と言ってますが、そもそもその表現がおかしい。「◎◎会社の××という行為が悪い」という表現ならまだしも、その存在自体を否定するのであれば、その存在がやること全てを利用してはいけない。大企業である航空会社を利用することもおかしいし、インターネットをやることもおかしい。 「全ての物事(考え)には誤りがある(=可謬主義)」の姿勢を常に持ち続けたいものです。
p さま
コメント、ありがとうございます。
文章が下手で、伝わってないのかもしれないこと、教えていただきました。 自分のことをいつも点検したい気持ちを持って、このブログも書き綴っているつもりですが、なかなか難しいですね。 私は批判することは悪いことではない、と思っていますし、批判する相手を利用していい活動ができるなら、それもまたあり、と思います。 ゼロかイチか、という考えでは、この矛盾ばかりの社会では何もできなくなるような気がするので… 残念ながら、行動せずに批判するばかりの人が多いのも事実ですけどね…
無題
文章のうまい下手の問題ではないと思います。
あなたの主張からは、 自分=善・行動する人、 (自分の主張に同調しない)他人=悪・行動しない人 というレッテル張りを感じます。 例えば、「おじさん」の言うことも、ある意味、事実とは思いませんか?「おじさん」の仕事で、日本が経済的に強くなり、あなたが各種活動に勤しめる豊かな条件(「円の強さ」等)が整えられているということも、ひとつの事実ではないですか。 そうした悲しい事実を「利用」するというのであれば、それはあまりに「品格がない」表現ではないでしょうか。 「間違った模造紙を捨ててしまうような人」と攻撃していますが、私だって、ムダな電気を付けて寝てしまうこともあります。 あなたには絶対にそうしたことはないのですか? 定年?過ぎて、自然と触れ合おうと活動するだけ、素晴らしい人とは考えられないのでしょうか? ちょっと気に入らない相手だと、ちょっとした行動を指摘して、「自分とは違う」と断罪する発想は、「連合赤軍」をイメージさせます。 せっかくフィリピンの「貧しさ」をテーマにしているのですから、もう少し「心広く、楽しく」関わってはどうでしょうか?
p さま II
コメント、ありがとうございます。
文章というのは、自分の感じている&考えている、ほんの一部を 切り取って差し出す作業と思っています。 p さんのおっしゃるとおり、そのおじさんのことも書かれているように、 考えることは可能です。 でも、そういう考えをここに書くことより、上記のように書く方を、 私は選びました。 そのおじさんに代表される(と私が感じている)日本人のおごりを 書きたかったからです。 そして、いつも『日本人』の中には、もちろん私も含まれます。 自戒の気持ちを込めて書き綴っている文章です。 pさんにしても、私のことを 「がんばって活動していますね」 と書くことも出来るでしょうが、 「レッテル張りをする人」 と書くことを選ばれたのには、そこに意味があることでしょう。 平行線になる討論(面と向かって話し合いをすることなしに、 文章だけでは難しいと感じます)は、消耗するばかりなので、 多くを書くことはしませんが、ひとつ、 「フィリピンの『貧しさ』」というのは、違って、 「日本の貧しさ」こそをテーマにして、活動しています。
無題
返信ありがとうございます。
いつもいろいろなフィリピンの関わり方があるなーと思って拝見させていただいております。もちろん、あなたの行動力も素晴らしいと思っております。そうでないとレスはしないでしょう。 もし力を消耗させているようであれば、申し訳ありません。でも長期的に見れば、異質な考えを聞く方が参考になる位の感覚で聞いてください。 ぜひ誤解しないで、もう一度私の文章全体を見ていただきたいのですが、要は、「あまり日本や周囲の人を(更に自分も)責め過ぎない発想をしてはどうか?」ということを言っているだけです。 フィリピン人もいろいろなので一概には言えないでしょうが、少なくとも私の妻や知人は、「なぜ日本人は、素直に自分の国に誇りを持ち、愛せないのか?」と言います。彼らに「日本=悪、フィリピン=善」という発想は、全くありません。もちろん歴史認識や経済認識の話もしますが、多くの人にとっては事実確認不能なものであり、最後は、「何が本当なのかよく分からない話よりも、これからの自分と他人への尊敬(承認)が大切」という結論の方が多くの人が同意します。 私にとってのフィリピンの魅力は、「家族や仲間への強い関心」であり、(私の周囲の)フィリピン人にとっての日本の魅力は、「誰にでもチャンスや可能性があること」だそうです。 フィリピンに関わる理由が、「日本人のおごりや貧しさを追求する」よりも、「日本人もフィリピン人も好き」で関わる方が、より多くの日本人とフィリピン人が救われるのではないでしょうか? 人は、自分も他人も、日本人もフィリピン人も、「不完全な存在」であるのですから・・・
p さま III
コメント、ありがとうございます。
責め過ぎる、と書いてあって、 えええ~? という感じです。 「事実」は、見る立場、視点、考え方で大きく変わるものだと思いますが、 私としては、責めたいのではなく、その事実からどう変わりたいか、なのですが。 私は、足を踏んでいる側(日本)が、踏まれてる側(フィリピン)に、 「まぁ、気にせず仲良くやろう」 なんて言えないなぁ、ということを言ってるだけなのですが。 国、という枠で見るときと、個人というつながりで見るときとでは、 もちろん話は変わります。 十人十色ですから、異質な考え、は、当然のこと。 いつも異質な考えばかり、です。 そして、 「日本=悪、フィリピン=善」 なんて、私もまったく思ってません。 フィリピンの関わり方も、どのように関わるかはそれぞれです。 p さんが、そのように関わっていらっしゃるなら、ステキなことだと思います。 私は、自分が「不完全な存在」だからこそ、自分自身を 叱咤激励し続けているのです。
無題
了解しました。
(信じられないかもしれませんが) 以前は、私も「国」というアプローチで様々なことを考え・行動し、そして私の場合はどうも何か偏っている感じがしてしまい、その後、「個人」というアプローチでも考え・行動するようになってはじめて、様々なことに納得感を持つようになれた経験があるため、既述のお話をしたのです。 例えば、「公平・平等」という普遍的な?概念があります。私は、これを、個人の経験を通じても考える中で、「実は、『人間は、常に公平・平等ではない』ということだけが、公平・平等にある」という認識に至りました。お金には困っていないのに自殺してしまう日本人もいるし、死にそうな位貧乏なのに、笑顔で、逞しく生きているフィリピン人もいる。 これが人間のおもしろさではないか?と。 異質な考えのひとつとして、参考にしていただければ幸いです。
p さま IV
こまめに書いてくださって、感謝です。
今回の内容は、本当にそのとおり、と感じました (ちょっと前回までの3回は、pさんの目的や気持ちがよく分からない感じでしたので…) マクロとミクロ、ローカルとグローバルの視点は、いつも気にしていることです。 人間のおもしろさ、その上で私がどう関わるのか? どう生きるのか? 愉快なフィリピン人&日本人の仲間や友人たちと励まし合いながら、細々でもやっていこうという感じです。 |
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