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KAFTIのblogです。
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さて、たくさん織物が出来上がってきたことは、本来喜ばしい&嬉しいことです。
今回も新しい柄に挑戦した織手さんが何人もいましたし、ステキな色柄のものと
出会うのは、本当に幸せなことだと思っています。
だから、なんとか潤沢な買取資金を作りたい思いでいっぱいです。
今回の震災も販売活動に影響があり、いくつものイベントが中止、また
販売先が減ったり購入してくださる予定の方が変更されたり…
織手さんたちから買い続けることが伝統を守ること… ひとりNGO の
あまりの微力さを感じます
(この場合、微力なのは 「ひとり」 ということじゃなく 「貧乏」 ということか)。

さて、今回はあまり良くない話。

織手さんのひとり、私が現地に住み始めてすぐに出会って、今も一番長く
付き合い続けている織手であるヘルダさん。
なんと昨年10月の私の帰国後、めまいに襲われ、その後血便もあったりで、
すごーく弱りきった日々を過ごしたとか!
彼女は、昔からティボリ民族に伝わる薬草をいくつか知っているので
(残念ながら、すでに知らない世代もかなり多い…)、ある木の根を煎じて、
それで良くなった、ということだった。
少しやせていたが(なんだか年々やせていってるような…)、会ったときは
元気そうな笑顔を見せてくれたので、少し安心する。

彼女は、昔の夫が飲んだくれで、ようやっとなんとか別れたあとに
別の男と一緒になったのだが、今度はその男がちょっとなんというか、
ずるがしこい(かしこくはないから、ずるく立ち回るヤツというか…)という男で、
しかもその連れ子たちが、揃いも揃ってそいつに似たところがあり…
ほんと、前の夫と別れた甲斐がない状態、と勝手に私は思っている
織手のひとりなのだ…

聞けば聞くほど、なんだかウンザリする状況で暮らしている…
たとえば、その息子のひとりがバイク事故で人を入院送りにして、その費用を
なぜかヘルダさんが必死に織物を織って返済しているとか…
夫の敷地内にヘルダさんの娘夫婦が小さな家を建てて暮らしていたのを、
夫の連れ子たちが
「俺たちの敷地だ」
といきなり言い出し、娘夫婦が追い出された、とか…

「え~、もうそんな男、やめなよ~」
と、ここに書けないような話も含めて聞きながら、何十回つぶやいたことか…
ううう、ひとりで暮らしていく、ということがすごく不便でもあるし、
結婚していないことが 「おかしい」 という村社会である(!)ことなど、
よそ者の私が
「こうしなよ」
と簡単に言えるような生活じゃない、ところがもどかしい。
せめて、今回織り上げた織物の売り上げは、とられないように気をつけて…
くらいしか伝えられず…。

彼女が少しでも幸せに日々暮らせることを願って…
(震災に対しても彼女に対しても、祈りのパワーを信じたいけれど、
祈るしかできないのは、なんだかつらい、と思ってしまうのは、
私の尺度が狭いからなのかな…?)
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もう1回くらい、現地からブログが書けるかと思っていたら、持っていった
コンピューターを変にしてしまい、初期化を現地でしたら、日本語の
システムを入れてくれてなく…
メールなどは読めても、日本語が打てないため返事ができなかったり、
すごい不便を味わいました。
日本の常識と違うこと、毎回いろんな場面で学びます。

今回の出張は、往路も雪が積もった中、出かけ、復路は雪が舞い散る空港に
降り立ちました。
なかなかこんな往復ないよな~、と、大きな気温変化を堪能。

さて、今回は予想以上に大量の織物が出来上がってきてしまい (というのも
変な書き方ですが、織物の売れ行きが芳しくない現在、かなり厳しい支出
なのです…)、なんと持ち帰りの荷物総重量が90kg を超えました (帰りが
重くなることがわかっていたので、ビジネスクラスにしていたおかげで、
超過料金無しで済んで、本当に助かった…)
チェックインの荷物が3個まで (重量は96kgまで) だったので、スポーツバッグ
を2つ、ビニールとガムテープでぐるぐる巻きにして1つに…!
あまりの不恰好さに、チェックインの際に変な顔されたが… (笑。普通、
ビジネスクラスってもっとスマートな装いの人たちが使うクラスだもんね…)

そのうち60kg 弱は、フィリピン国内宅急便でマニラの知人宅に送り、
マニラでパッキングをしなおして飛行機で持ち帰り…
毎回、自分でもすごい、としみじみ思う離れ業を駆使して、
大荷物を持ち帰っている私です。

しかし腰痛はひどくなるけど…

とにかく移動するたびにパッキングをしなおして、出張中は、ほとんど毎日
パッキングをする日々。
イベント出店などでも褒められますが、ものすごい量をパンパンに
パッキングして、大きさからは予想できないほどの重さの荷物を作り上げてる私です。

織手さんや生産者さんたちがやる気を出してたくさん出来上がってくるのは
いいことだけど (もちろんそのための活動なんだけど)、売り上げがうまく
いかないと、借金が増えるばかりに…
大きな布のもつ魅力を知ってもらうため、展示会も年に2~3回は開いているけど、
布を購入してくださる人は、ほんの一握り…

誰か、高級なインテリアを手がける会社とか紹介してくれないでしょうか?
壁紙とか、インテリアに向いてる布だと思うのです。
一点もの、という贅沢を味わってくれる人が購入してくれたらなぁ、と願いつつ…
(願えば通ず!!)
昨年10月に選挙があった関係で、前回の訪問では出来上がらなかった製品が
たくさんあったことを、前に書きました。

選挙結果で一番嬉しかったのは、私がいつも泊まっている友人の村長、
アントニアさんが再選!
今回は相手もものすごいお金をばら撒いたのもあり、本当に心配で心配で
どきどきしていましたが、なんと12票差で当選!
相手はその12票差が気に入らず、なんと村役場に2ヶ月バリケードを敷き、
アントニアさんが仕事できないようにしたのでした。
選管やら警察やらのおかげもあり、その後バリケードが解体され、
今はもちろん毎日仕事に励んでいます。
(その後、その相手は糖尿病が悪化し入院、目が見えなくなってるとか??)

こちらでは一歩間違えたら殺されたりすることも多発している選挙。
(私もモノをはっきり言う性格だから、よく 「後ろから刺されないように」 という
ご忠告をいただきます… 笑)
彼女が無事再選され、これからの3年間で、さらに地域の状況を良くするのを
見守ることができるのは嬉しい限り。
当選祝いとして仲間内で、近くの湖のほとりのレストランでピクニックをしました。

そして、縫製担当者は残念ながら落選。
私を含む縫製の注文を今までどおり受けつつ、暮らしていくことになりました。
今回は山盛り&しっかり仕事してもらいます!!
今回もまた出発前にブログを書くことができず…
なんと、家を出る予定の時間になっても準備が整わず、あわてて出たら
乗り継ぎのJR で乗り間違えまでしてしまい、かなり散々な往路でした… とほほ。
それでもなんとかギリギリ飛行機に乗れたのだから、ほんと良かった良かった、なのですが。

現在は一旦、山から降りて、町で必要な用事や買い物などをし、また山に戻る予定です。

ここのところ、コメントにも友人たちにも、ブログ更新があまりに少ないことを
指摘されているのですが、なぜだろう? と、引越し後の自分の生活を
振り返ってみたら、簡単なことでした。

本当にお金がないのです。

活動したら活動しただけ出て行くばかりの 『持ち出しNGO』。
昨年は売り上げ目標達成できたけど、それに伴う出費も大きくなり、結局私の有給化は
実現できず… つまり目標が低すぎたのでした。
だから当然、私の食いぶちを、活動以外の時間を使って、なんとか
稼がなくてはならないわけです。

必死に売り歩いて、展示会もイベント出店もこなして、現地出張も新作のデザインも、
製品の検品や発送も、とにかくすべてひとりでやって、そのほかに
更に働くのはかなりの重労働。
ブログを書くエネルギーなど残らないはずだ、とわかりました。

活動に専念でき、もっと充実させる時間と余裕が生まれるような形にしないと
ポシャってしまうのは時間の問題。
「持続可能」 という言葉が、現地のみならず、現地と日本をつないでいる
私にも本当に必要なのです。

今回もものすごい量の織物が出来上がってきて、家にある在庫とあわせたら相当な数に。
日本の作家さんとのタイアップ、どこかの企業がインテリアなどの材料として
購入してくれるかなど、美しい織物が生きる道を今年こそ見つけられたら、と思います。

自分の心の目標である 「お金に振り回されないこと」 とは別に、
お金なしにはなりえないこの活動を継続させるためには、なんとか
折り合いのつく道を探し出さなくては。

タイガーマスク運動がはやっていると聞いて、きっと KAFTI にも
ドカン!
と、お志が届くだろうと、思いつつ(笑)
2010年 KAFTI として達成したこと5つ
・ 年間売り上げ目標達成
・ ショールーム作りの一歩
・ 夏休み&冬休みをきちんと取った
・ リーフレットなどのデザインをしてくれる強力な助っ人との出会い
・ ひとりで休まず全ての出店&展示会をやりとげた

達成しなかったこと3つ
・ 新製品のいくつか
・ 私の仕事への有給化
・ すべての人への笑顔での対応


2011年 KAFTI として挑戦したいこと
・ 昨年達成しなかったこと3つ
・ 新しいリーフレット作成
・ 海外での展示会の足がかり
・ 『本物』の持つ力を感じる「場」や「きっかけ」を作ること


これと平行して個人的には以下の大きな3つの課題に挑戦かな…
・ 資本主義社会の中でどれだけお金から自由になれるか
・ 家の掃除、改装、手入れ、整理整頓
・ もっともっと人生を楽しむ


でも、ゆるゆると、のんびりと。
なかなかブログをアップできないまま、今年最後の日を迎えました。
書くことが好きなのに、すごく時間がかかってしまうので、一生懸命
書いたものだけを積み重ねてるんだな、と良い方に考えようか(笑)

今日から新年にかけて、 2010年の総括と 2011年の希望にあふれる日々を、
じっくり考える時間を取れたら、と思っています。

たくさん製品を購入してくださったみなさま、
ご寄付を寄せてくださったみなさま、
精神的に支え励ましてくださったみなさま、
本当にありがとうございました。

違う地域の、違う文化の、違う暮らしをしている人々と
分かち合い、励ましあい、いい関係を結ぶ活動を
これからも少しずつ、やっていきます。

いろいろあっても、こうやって無事新年を迎えられることに
すごく幸せを感じています。
願えば通ず
をモットーに、
苦しさを克服できる強い精神力を磨けますよう…
これからも気持ちがいい日々を過ごせますよう…
またもや始まる前にアップできませんでしたが、活動記録として(今頃ですが)書きます。
ある個人宅での上記の展示会のお仲間に入れていただきました。
売り上げはあまりなく残念でしたが、何人かのリピーターさんが購入してくださったとのこと。
使ってくださってる方のリピーターが多いのが、ティナラク織製品の特徴です。
ありがたいです。

クリスマス・ギフト展
とき: 2010年12月9日~12日
場所: アトリエサロン J (新逗子)
この夏に京都で展示会を見ていただき、原稿依頼をいただいた
『染織と生活社』 という出版社が毎月出している雑誌 『染色情報a』 に、
いつか載るかもしれない文章です。
あれもこれもと、詰め込みすぎて長くなってしまいましたが、
ティナラク織のことを知ってもらうには、これくらいの説明が必要なんだ、
とあらためて、この10年以上説明し続けてきた自分の活動を、
きちんと評価しなくては、と思っています。


+++


夢を織り込む~~ティナラク織とティボリ民族
ティナラク織の会「カフティ」 森田奈美


フィリピンと聞いて思い浮かぶものはなんでしょう?
バナナやパイナップルなどのトロピカルフルーツ、セブ島などのリゾート、
またはみなさんの周りに住んでるフィリピン人でしょうか。
フィリピンの首都マニラは、成田から約4時間、7千の島に8千の言葉がある、
といわれる、たくさんの島々で構成された多民族国家です。
330年以上のスペイン統治のあとアメリカの44年間、日本の4年間の統治を経て、
独立国家となりました。

今回ご紹介する織物 『ティナラク織』 は、フィリピンの芭蕉布です。
フィリピンで2番目に大きく、一番南に位置するミンダナオ島、その南部の
山間に暮らす、ティボリ民族が何百年も受け継いできた織物で、
私はフィリピンを代表する (国宝級ともいえる) 伝統織物だと思っております。
フィリピンには他にも 『ピーニャ』 と呼ばれる、パイナップルの葉の繊維で
できた素晴らしい織物がありますが、それはスペイン時代に持ち込まれたという説があり、
ティナラク織が現地に現存している最古の伝統織物だと思われます。

繊維の取れる芭蕉は糸芭蕉、英語ではアバカと呼ばれ、姿かたちはバナナとそっくり
(バナナは実芭蕉)です。
戦前は、この丈夫な繊維がロープなど多様なものに使われていたため、
日本から移住した人たちが、かなりの広い土地にプランテーションを作っていました。
現在は、日本のお札の材料にも使われています。

さて、ミンダナオには31の先住民族が暮らしているといわれ、そのうち
この糸芭蕉の織物を作ってきた民族は、わたしの知るところで3民族あります。
バゴボ民族の 『シナマイ』、ビラアン民族の 『タビ』、そしてティボリ民族の
『ティナラク』 です。
『シナマイ』 は、商業ベースに巻き込まれ、伝統的に作っているところは
ほとんどない、と聞きました。
泥染めや虫染め、草木染などしていたようですが、今は人工染料を使ったものが
多少、都市の土産物屋に並んでいるのを見かけます。
『タビ』 は、現地の NGO が復活させようとがんばっているのを見学に行きましたが、
高齢の織手さんたちが5人、一生懸命織っていたのみで、次の世代への継承までは
至っていないということでした。

そして私が15年ちかく関わり続けているティボリ民族の 『ティナラク』は、
60年代から入ってきたキリスト教宣教師団の、文化継承プログラム等もあり、
今日までなんとか続いています。
少数民族であるティボリは、統計によって6万人とも8万人ともいわれ、
かなり広い山々に散在しているのですが、織物が残っている地域はほんの少しで、
私の推定では織手さんは150人前後くらいと思われます。
その中でも一級といわれる織手さんは、そのうちの20人くらいでしょうか。
ティボリ民族にはカレンダーもないので、本人たちにも何百年続いている
織物なのかわかりません。

芭蕉にもいろんな種類がありますが、現地で 「ギンダナオ」、ティボリ語で
「クドゥゴン・リブン」 という名で呼ばれる芭蕉が、織物に向いている
ということで、織手さんたちはその繊維を買い求めます
(芭蕉の畑を持っている織手さんは、ほとんどいません)。
困難なのは、芭蕉の畑を持ってる人が、きちんと種類によって選別してくれなかったり、
質の悪いものを混ぜたりと、織物や織手さんたちのことを、考えてくれてる
わけではないことです。
芭蕉は現在 「エコ」 な材料として、インテリアや服飾関連、化粧品などにも
使われてるということで、外からかなりの需要があり、質にこだわるような
面倒な織物用の繊維を、きちんと供給してくれる生産者が、少ないのが悩みです。

ティナラク織の工程ですが、まず2メートルくらいに育った、芭蕉の幹の部分を
漉いて繊維にしたものの中から、白くて綺麗な繊維を選びます。
そして繊維を陰干しし、1本1本丈夫な部分のみを選んで結わいていきます。
縦糸にするものは1本取りで、横糸にするものは繋いだものをさらに2本取りに。
何千メートルの糸にしていく、地道な作業です。

糸が出来上がったら、縦糸用を機にかけるように、そして縦絣の柄のために
列と長さを揃えてゆきます。
黒・赤・きなりの3色で、さまざまな柄を織り上げるティナラク織。
始めは黒く染めるため、赤く染める部分ときなりの色を残す部分を、
染まらないように別糸でくくっていきます。
根元まで良く染まるように、くくった部分のギリギリまで広げる作業もします。

まず始めに黒に染めます。
黒の染料は「キナルム(ティボリ語)」と呼ばれる木の葉で、大きな臼に
枝ごと入れ、よく色が出るよう、杵でついてつぶします。
くくり終わった縦糸と横糸のすべてと、キナルムを大なべに入れ、
「3時間煮て3時間蒸して」、というのを30回も繰り返し、漆黒の黒に
染め上げます。
キナルムは3回ごとに新しいものに取り替えます。
始めは淡いブルーグレーの色が、回を重ねるごとに、深く濃く染まっていきます。
その後、現地の川や湖で獲れる貝を燃やして灰にした粉「ロホ(ティボリ語)」
と呼ばれるものを混ぜた熱湯でも煮込みます。
色止めだろうとは思うのですが、織手さんたちは
「繊維をしなやかにするため」 と言います。

次は赤です。
まず先ほどの縦糸の、赤く染める部分のくくった糸をはずします。
オレンジ色の美しい 「ロコ(ティボリ語)」 の木の根を取って、
芯の硬い部分をとりのぞき、芭蕉糸の赤く染める部分に、こすり付けます。
手もオレンジ色に染まりながらの作業、繊維と染料を一緒に大なべに入れ、
2時間ほど煮てロコを足しながらまた2時間。
ロコの根の年齢、分量によって、また煮込む時間で、赤は毎回染め上がりが違います。

赤が染まったら、きなりのまま残す部分にくくった糸をほどき、
機にかけていきます。
機は原始機(現地でバックストラップ)と呼ばれる、床に座って
自分の足と腰とでしっかりつっぱりながら織る、かなり力強い織り方です。
しっかり目の詰まった美しい柄が崩れないよう、いい織物に仕上げることが
できるようになるまで、かなりの年月がかかるといわれています。
日中は乾燥して繊維が切れやすいため、朝夕の湿度の高い時間に
織ることが多いです。
柄によっては、織ってる期間中、夫と一緒に寝てはいけない、とか、
鶏肉の手羽先を食べてはいけない、とか、いろいろ言い伝えがあります。
守らないと、織物の始祖姫が柄を崩してしまうとか。
昔の織手さんたちは、しっかり守っていましたが、最近の若い織手さんたちは、
言い伝えすら知らない世代も多くなってきました。

織り上げて機からはずした織物は、川で洗い、自然のスピリットにさらします。
陰干しし、半乾きになったら木の棒で布の全面をたたき、薄くしなやかにします。
2メートルごとにあるはずの結わき目も、この作業のおかげで、
ほとんどわからなく見えなくなります。
そしてユニークなのは、宝貝での 『なめし』。
ときに竹のしなりなども利用して、すごい力で全面をなめします。
宝貝が熱くて持てなくなるほど、繰り返し繰り返しなめしていく大変な仕事が、
艶やかな光沢の美しい織物に仕上げます。
最後に、繊維のケバなどをとりのぞいて、出来上がりです。

始めの繊維を結んで長い糸にするところから最後まで、約3ヶ月かかります。
織物は世界中で歴史的に、資本家が管理しやすくするため、分業がどんどん
進められてきました。
が、このティナラク織は現在も、始めから最後までの全工程を、
ひとりの織手さんが手がける、希少価値の高い織物といえます。
文字を持たなかった民族ゆえ、母から娘へと受け継がれてきた柄は、
すべて織手さんの頭の中に入っています。
また、熟練した織手さんたちの夢の中には、織物の始祖姫が現れ、
新しい柄を伝えるともいわれ、現地でも
「夢を織る人(Dream Weavers)」 と言われています。

そんな素晴らしい織物であるにも関わらず現地では、セブやマニラの
土産物中間業者が徹底的に買い叩き、織手さんたちは、材料費にしか
ならないような金額で売るしかないようなことが、しばしば起きています。
この地域では昔、森の恵みとともに豊かに暮らしていたのですが、日本を含む
諸外国の森林伐採によって、ミンダナオ島全土で80%以上の森が、失われました。
それとともに、貨幣経済の波にも飲まれ貧困におちいり、今日食べる
ごはんにも事欠く生活になってしまったのです。
どんな 「はした金」 でも、目の前に現金を見せられたら、
売る決心をしてしまう織手さんがいっぱいいます。
それほど経済的に厳しい状況です。
また、苦労の報われない織手さんたちを見ている子どもたちは、こんな大変な織物、
継ぎたい・学びたいとは思えなくなってきています。

私は現地に暮らす中で、ずっと織手さんたちの日々を追いかけ、
全工程を見させてもらい、なんとかこの民族の誇りである織物が継続できる道を、
と考え、手持ちで持ち帰る活動を開始しました。
少しでも多くの人に購入していただき、織手さんたちがいい仕事を
し続けられる環境を、支えていきたいと思っています。
現在は、「いい仕事をしたらいい値段で買うから」、と約束し、
織り上がったすべての織物を、買い上げています。

私たち日本の生活は、スイッチひとつでお湯も出る、電気もつく。
同じ時代に生きているのに、かたやティボリの人たちは、子どもたちが
水汲みをし、バケツ1杯の水でシャワーを済ませ、灯油ランプの
小さな灯りで暮らしている。
私はこの15年のうち半分くらいを、現地で一緒に暮らしてきたので、
便利じゃない生活に、どれだけ時間がかかるかを、しみじみ体験してきました。
家財道具をほとんど持たない人、替えの服を持たない人、今日食べる
ごはんもない人… 選択の余地がない、という状況は、本当にきついです。
働いたら、いい仕事をしたらちゃんと報われる、という体験を、せめて
ほんの一握りの織手さんたちではあっても経験してもらいたい、なんとか
少しでもアンフェアな状況を変えたい、という思いで活動をしています。

そんな厳しい貧困の中でも、かろうじて残ってきた伝統のティナラク織。
しっかりした風合い、繊維らしいさらりとした肌触りを、ぜひたくさんの人に
触れて楽しんでもらいたい。
自然の恵み100%で出来ているこの織物を通して、自然とともに生きている人たちの
知恵と歴史を感じられることは、本当にありがたく素晴らしいことだと思います。
ティナラク織をはじめ、世界のあちこちで紡がれている美しい手仕事が、
大切に受け継がれていくことを心から願いつつ、これからも自分に出来る
活動をし続けます。
嬉しかったこと5つ

・ 沢山のいい織物が出来上がってきたこと、約束を守った織手さんが多かったこと
・ 選挙に出馬するにも関わらず、縫製担当者がなんとか私の注文に応じて
製品を仕上げてくれたこと
・ 現地にしてみれば、莫大な現金を持ち歩いているにも関わらず、
無事に戻ってこれたこと (金持ちに見えない外見は重要!!)
・ 数年ぶりに会った友人と、おしゃべりする時間が持てたこと
・ スーパー台風 (昨年マニラ首都圏でも床上浸水が1~2メートルにもなった級のヤツ!) が
帰国日にちょうど来る… と聞いてビビッていたのだけど、時間差&地域差のおかげで、
朝焼けの美しさを感じつつ無事に帰国できたこと


あちゃ~、とショックを受けたこと3つ

・ 持って行ったコンピューターを踏んでしまい (なんせ山の生活は灯りが乏しく暗いのです…)
スクリーンが割れ、くもの巣のようになってしまったこと
(あー、修理代にいくらかかるのか???)
・ 思ったよりも荷物か重くなり、今までで最大の超過料金を、国内線で支払う羽目になったこと
(最近は交渉の余地も無し… 昔は良かった??)
・ 前回来たときよりも数倍ぜんそくの発作が出たこと… 日本では出ないのだが、
日本に居るときから背中の肺の辺りが、重いというか痛いというか…
自分も医者に行かなくては…
毎回、3ヶ月~4ヶ月ごとにフィリピンに来るたび、いろんなものがちゃんと (!)
値上げされていることに驚く…
もちろん給料など収入は、そうすぐに反映されるわけではにから、
現地で暮らす人たちの苦しさを想像すると、ため息ため息…
定期収入の無い人の方が多い国でもあるし… お金のめぐりの適正化が可能なのか、
考えさせられるばかり。

今回はバス料金が値上げ。
食料品のいくつかも上がっていた。
毎度毎度ガソリンは上がり続けているので、バスも近いうちに上がるだろう
とは思っていたけれど… はあ。
上がり方もキョーレツ。
10%くらいの上乗せがザラ。
それでも、そんな厳しい中、人々の生活は日々流れていく…

織手さんたちにも、縫製担当者さんたちにも、少しでも多くいい仕事をしてもらって、
少しでも多く収入にして欲しい…
毎回毎回、細かいダメ出しをして、丁寧に説明して、なぜ日本人は質の高さに厳しいのか、
その人たちに買ってもらうためには質を上げなくてはならないことを、
1から10まで繰り返す。

繰り返しても繰り返しても、
「あ、そうだったけ…」
「あ、忘れてた…」
「えへへへ…」
と、言ったことのいくつもが守られないで、出来上がってくる。
多分、日本人には理解できない世界。
縫い目が数ミリずれたからなんなのだろう、死にはしないのに?
柄がずれてるからって、なんでいちいち言うのだろう、死にはしないのに?
そういう雰囲気をいつも生産者さんたちから感じながら、それでも言い続けるしかない。

バンブーハウスから育まれてきた製品は、竹と同じように節があったり
少し曲がっていたり… それを手作りの良さと分かってもらう私 (日本側) の
努力も必要ながら、きちんと美しいものが出来上がってきたときの喜びは、
こちらでもやっぱり共有できるのだから。
100回言ってだめなら、200回言うしかない。
褒めつつ励ましつつ、山ほどのダメ出し… 現場の仕事というのは、
本当に本当に小さな積み重ねの繰り返し。

そして、したたか (?) な生産者さんたちとのやり取りは、いつもいつも
楽しくもあり苦しくもある。
私がすべての織手さんたちの織物を買えるわけではないから、現地の状況・収入など
いろんなことを鑑みて、費やした時間と質に見合った金額を話し合う。
また、あちらは借金体質 (?)、ツケしまくりの社会。
いろんな物が値上げされてるのもあって、前金を少しでも多くもらいたいと、
あの手この手で訴えてくる。
材料費さえ買うお金の無いくらいの生活レベルだから、次回までに
やっておいてもらう仕事には、材料費プラスアルファの前金を渡すのだけど、
前金の方が多くなるのでは? というくらい欲しいといってくる人もいて、
長い長い話し合いになる。
私からしたら、前金が少ない方が出来上がったときに差し引きで、多く手元に入るだろう
と思うのだけど、こちらの人たちは違う考えらしい。
差し引きでゼロになったとしても、また前金をもらえば… と、どんどん
借金づけのサイクルに…
この借金体質は長い年月でできあがってきたもの… なかなか話し合ったとしても
どうにかなるものではなく… 私にとっても闘いです。

毎回こちらに来るために、日本で必死に製品を売り歩きつつ、こんなにがんばっても
KAFTI の莫大な借金財政はなかなか減らず… 山ほどの製品にうずもれている
部屋 (倉庫) を思いながら、帰国後のイベント出店でまた、 少しでも
多くの人の手に渡るようにと、この秋もまたがんばらなくては、という思いを強く持ちつつ
明日帰国予定です。
そして、せめて今年の目標の時給200円 (!!!) を自分に渡せるようにも
したいものです… とほほ。
現地の人々にフェアでありたいと同時に、自分にもフェアでなくては
『フェアトレード』 とは言えないだろう。
持続可能性を試行錯誤しながら、また楽天的な気持ちも持ちつつ、これからも
ほんの少しでも、自分のできることを…。


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