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KAFTIのblogです。
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18日夜中に、マニラ入りしました。
明日、ミンダナオ入りします。

秋は、いつもイベントが毎週のようにありますが、今年は展示会づいていて、
帰国後すぐに、2つの展示販売会を予定しています。
クチコミで支えてくれる人たちの優しい思い、現地の織手さんたちにも、
しっかり伝えてきます。

このところブログに必要最低限のことしか書けず、もしかして伝え続ける
エネルギー切れ? なんて思ったり。
言いたいことはいっぱいあるのに、なぜだろう?
何か、心に栄養になることをたっぷり自分にあげる必要があるな、と感じています。

長くいい活動を続けるためには、無理をし続けたらダメと、過去に燃え尽きそうになった
経験から、しみじみ感じていて、だから今年の自分のテーマは、
「自由」 と 「甘やかす」、 そして 「人間らしい暮らしへの一歩」

一人暮らしを始めて、 「自由」 を満喫。
定期的に休みをきちんととって、好きなことだけする時間を持つことで、
「自分を甘やかす」。
製品や現地に運ぶ古着などが山となっている部屋から抜け出し、
「気持ちのいい空間で暮らす」 努力… これが本当に難しい… (爆涙)
(ただいま引っ越し先を探しています。いい情報ありましたら、どうぞ
お知らせくださいませ~!)

帰国は10月10日頃の予定。
秋の盛り沢山のイベントなどで、手に取ってもらえるような、丁寧な仕事の製品を、
生産者さんたちと試行錯誤で作って来たいと思います。

ではでは、いい秋の日々をお過ごしくださいませ。
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今回は、時間が取れず、現地でまったくメールが出来ないまま、帰ってきました。
日本が秋のような気持ちいい気候になっていて、驚いています。
冷房はおろか、扇風機もない暮らしをしている私には、ありがたいこと、この上なし!
(ちなみに冷蔵庫もまだ使ってないです… なんとかなるものです)

今回は、来週からの銀座の展示会の新作バッグを作るのが目的でした。
いろんな色柄で、いい感じのものが沢山出来上がってきました。
がんばって担いで、持って帰ってきたので、ぜひ見に来てくださいませ~。
私がいつも滞在する、マーベル市のバスターミナルで、
おとといのお昼に、爆弾事件がありました。
ああ、また…

誰かが次の展開に持ち込むべく仕掛けた罠。
戦争や紛争を、起こしたい人たち。
仮想敵を作り、人々をあおり、扇動していく。
武器産業を設けさせて、得をする人たちがいる。
他人の命がどうなろうと、何も感じないで儲けられる人たちがいる。

10日ほど前に起きたキダパワン町も、今回のマーベル市も、
怪我人だけで済んだのが不幸中の幸い。

私は、フィリピンでは 『何か』 に守られているようで、いろいろありつつも、
いつも無事に生き抜けている。
このありがたく助かってる命に感謝しつつ、こんなことが起こらない社会へと
成熟していくように、また一歩、行動へとつなげていきたい。
なかなかブログを書くエネルギーが出ないまま、フィリピンに出発となりました。
明日から行ってきます。
場所を変えることが、エネルギーの充電になるのを期待しつつ…

とにかく、花粉症で、まったく集中力無し…
毎日、滝のように流れる鼻水を拭くのが精一杯という情けない日々でした…

まあ、山あり谷あり。
元気のないときも、大切な自分。
■ 東京新聞 (2009年2月22日、国際)
紛争続く比・ミンダナオ島
織物文化 次代の糸細く
+++

まさに私の通っている村の、知ってる織手さんの写真と、一緒に現地で
ティナラク織の仕事をしている女性のコメント…
びっくり~。
なぜ私に取材がこなかったのか? なんて思ったり(笑)

写真は、伝統衣装を着て織る姿で、ありえない~~~! という、いかにも
の写真だし、紛争の背景や歴史にはまるで触れていないこと、かと言って
織物にも特に詳しくなく 『各先住民の織物』 というあいまいな表現など、
ちょっとイマイチか。

でもこの記事、今頃なぜ取り上げられたのか…? 不思議。


■ 朝日新聞 (2009年2月23日、国際)
避難30万人 「帰れない」
比ミンダナオ紛争 再熱から半年
食料・薬不足 身近な死
+++

こちらは紛争に焦点をあてていて、また背景など分かりやすく書かれていると思う。
お隣の国で、こういうことが起こっていること、本当に知られてないんだもんね…
(世界は広いのに、いつも、なんで米国の記事ばかり多いのか、本当に不思議…)
ブログを書き込むエネルギーもないほど、疲れていたようで…

11月23日~12月2日の間、現地に行ってました。
前回、持ちきれなかった織物を取りに行くためと、
亡くなったアニータの家族に会うために…

アニータの家族へは、いつも支えてくれてる、お仲間NGO
『パクパク・ナティン』の、YE さんとYS さんが、お見舞金(なんて言うのかな?)
をくださったので、それも届けることが出来ました。

アニータが前回、山盛りの織物を私に売った代金で、お葬式などの費用を
まかなったようでした。
家族から、アニータの人生の一部も聞き、あのような保守的な田舎村で、
かなり自立した、ユニークな人生を自分で切り開いてきた女性だと知りました。
あー、生きてる間に、もっと織物以外の話もしたら良かった…

せめて私のできることは、
私もできるだけ 『 ユニーク 』 に生きていくことです。


パクパク・ナティン
http://www1.odn.ne.jp/pakpak-natin/index.html
日本でも沢山の局地的豪雨があったことを、帰国後に知りました。
(しかし、『ゲリラ豪雨』というのは、あんまりなネーミングではないか、と
本当にゲリラを怖いと日々の中で感じてる地域にいた私としては、
あきれています…。軽々しく使える言葉じゃないんじゃないか、と…?)

フィリピンは、スコールが当たり前にある地域だけど、それでも今年は
例年にないほどの強烈な雨が襲い、あちこちで人が亡くなりました。
私が細々植林をしているくらいじゃ追いつけないのですが、木がないために
起こる災害は、毎年毎年起こり続ける…
誰か、ババーンとビックリするくらいのお金を、私に託してくれないものでしょうか??
イベントなどでは募金箱に、10円50円… という金額しか集まらず
(もちろんそれは尊いお金で、大切に遣っていきたいと思っていますが)
遅々としか進められない植林プログラムに、悲しくなる私です。
森の復活は、本当に急務なんだよなぁ… とほほ。

そして、私の通うティボリの人たちの住むレイクセブ町も、道がえぐられ
ボコボコになり、いくつかの橋も流され、大変な状態になっていました。

雨の後はいつも水かさが増すので、橋が流された後の川では、
水の勢いが弱まるまで、川岸で待つ人でいっぱいになります。
私も、久々に足の付け根まで濡れて、流れに足をとられそうになりながら、
友人達と手をつないで、何度か川を歩いて渡りました。

子どもたちも今まで何度も川に流されたし、
スカイラブと呼ばれるバイクタクシー(延長シートが付いてるバイクで、
運転手の前にひとり、後ろに3人ほど乗る、ちょっと危険な移動手段)で
移動する際、ボコボコの山道で沢山の事故が起きている。
そういうところに予算がない、ということもつらいし、
危険と隣り合わせの日々を、生き抜いてる過酷さもつらい。

友人のアントニア村長、町長や洲議員などにかけあったりして、
必死に道路と橋の予算を取ろうと奮闘していました。
次回私が行ったとき、いい結果が出て、少しでも人々が安心して暮らしていける
環境になってるといいのだけど…
今回の訪問中、一番の衝撃。
大切な大切な、一級の織手さんであるアニータが、脳卒中(?)で倒れ、
その翌日に亡くなった。

アニータは、ふたりの若いむすめ(義娘と末娘)を、いい織手さんに育てている
ところだった。
むすめたちは、
「おかあさんは、すごく厳しい先生。だから私たちもいい織手になれる」
って言っていた。
小柄で、すごく細い身体からは想像できないほど、力強い目の詰まったいい織物を
仕上げてきていた。
毎回、創意工夫ある魅力的な新柄と伝統柄、どちらもいいものを織り上げていた。
彼女の織物を見るのは、毎回とても楽しみだった。
仕事も速く、品質の話がちゃんと通じる、数少ない織手のひとりだった。
今回は、短い日程だったのにも関わらず、あまりに沢山仕上がってきたので、
「私が買いきれないくらい沢山織ったらダメだよ~」
と冗談交じりに、嬉しい悲鳴を上げるほどだった。

カレンダーのないティボリの人たちの年齢は、はっきりしない。
本人いわく、50歳代のようだった。
その年代で、英語が話せる知的さと向上心。
ユーモアと思いやりと誠実な個性。
これからもず~っと一緒に仕事をしていく、仲間なのだと思っていた。

私が彼女から購入した織物の売り上げで、次の織物の繊維を買いに、隣村に出かけ、
帰ってきたとたん、家で倒れたという。
最後の最後まで、織手のままだった。

今まで、フィリピンでは何度も、目の前の死んでいく人に
『何も出来ない自分』
というのを感じさせられてきた。
死んでいく人を、見ているだけしか出来ない私。
アンフェアな現実を思い知る時間。
また今回も体験することになるなんて…

私に、足りないことはなんだろう?
私に、できたことはなんだろう?
私は、ここから、どういう生き方を更に重ねていくのか?

目の前で死んでいく人を、見つめるしかない無力感。
それをちゃんと噛みしめて、受け止めて、それでも前に進んでいこう。
無力であっても、微力であっても、あきらめないことくらいしか、
今の私にできることはない。
何度打ちのめされても、立ち上がろう。
生きてるだけでありがとう。
そう思いながら、細々とやれることを継続していくことが、
私に与えられた道なのかな、と…

アニータ。
あなたのことは忘れない。
あなたから学んだこと、少しでも自分に取り込みたい。
あなたと少しの間だったけれど、一緒に仕事ができたことに感謝。
最期まで自分の仕事をする、ということを教えてもらった。
あなたの織物を見てくれる人に、あなたのことを伝え続けます。
出会えて本当に良かった。
一緒に笑いあった時間を思い出しながら、これからも、あなたのむすめたちを含めた
すばらしい織手さんたちと、仕事をしていきます。
今年は十周年記念もあって、先住民を前面に、という企画になったということで、
お声をかけていただきました。
コンサートやアート、ワークショップなど1日遊べるイベントです。
家族やお友だちと、ひとりでもどうぞ!

第十回 金沢文庫芸術祭
「 こどもの未来は地球の未来 」
日時: 9月14日(日)10時~
場所: 横浜海の公園
公園までの地図: http://www.umino-kouen.net/accessmap.html
出店場所: 先住民族広場 (なぎさ広場)
公園マップ: http://www.umino-kouen.net/parkmap.html
(『開発と権利のための行動センター』 『グアテマラ生産者支援ネットワーク みるぱ』
と共同出店です)
金沢文庫芸術祭実行委員会:
http://www.bunko-art.org/KanazawabunkoArtFes10th/Home.html

開発と権利のための行動センター
http://homepage3.nifty.com/CADE/
グアテマラ生産者支援ネットワーク みるぱ
http://milpa.michikusa.jp/index.html
今回も、ちゃんと沢山キョーレツなことがいっぱい押し寄せてきました。
とにかく、無事に帰れたのが何より。

というのも、私が通過したバスターミナルで、その通った翌日に爆弾事件が発生。
実は出発前に聞いてたんだけれど、政府軍と反政府勢力である
モロ・イスラム解放戦線 ( Moro Islamic Liberation Front = MILF )の
戦闘が始まっていたのです。

話し合いを尽くさない政府 (日本も同じ!) には、あきれます。
そのせいで、たくさんの命が奪われている…

いろいろお伝えしたいことはありますが、とにかく早朝からすごい荷物で
移動し続けてフラフラ…
少しずつ書いていきますね。

では、今夜はおやすみなさい。


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